2016年10月8日土曜日

命ある内に救済を アスベストシンポジウムに参加

 奇跡の鉱物。そう呼ばれ、世界中で建材などに使われたアスベストは、その危険性が明らかになり、1975年からは国内使用が禁止されています。

 神奈川県建設労働組合連合会(神建連)などが参加する実行委員会が主催する「アスベストシンポジウム」に参加してきました。 14年末まで神建連所属の横浜建設労働組合に所属していましたので、改めてこの間の取り組みと進展を確認するとともに、一自治体として、何かできることはないかと考えさせられました。

 不燃性と加工のしやすさから重宝されたアスベストですが、加工・施行・解体において、粉塵として空気中に舞い、鼻や口を通じて、体内に取り込まれます。その大きさは数マイクロメートルと小さく、普通のマスクでは防ぐことができません。そして、肺に刺さり、咳や呼吸困難、胸膜肥厚など症状が悪化し、死に至ります。アスベスト被ばくから症状が出るまで20年~30年と言われ、死の時限爆弾とも呼ばれています。

 日本では、建設業、造船業などに被害者が多いとされています。バブル期には、ほぼ全ての建材にアスベストが使用され、アスベスト無くして建物は建たないとも言われていました。

 国やアスベスト(建材)製造企業に対し、各地で裁判が行われています。利益のために、現場で働く労働者の命をないがしろにしてきた企業、それを後押しした国の責任は重大です。裁判期間中にも多くの原告が命を落としており、一刻も早い救済が必要です。


最後に、シンポジウムで発言されたお二方の発言を紹介します。


神奈川アスベスト訴訟 第二陣原告 Nさん

S48年から給排水・空調の設備を初め、毎日アスベストに暴露。
配管設置の際にサンダーで配管を切断し、粉塵を拭き上げていた。その管にアスベストが使われていた。
また、配管を設置する際、壁にアスベストが吹き付けられ、それをかき分け作業していた。
管に巻きつける保温材にもアスベストが使われていた。
H20年ごろから、タンが多くなり、咳き込むように。呼吸困難が続き、アスベスト肺の診断を受ける。
肺をふくらませる薬が処方され、失神するような呼吸困難はなくなったが、階段を登ったりすると、苦しくなり、その場で呼吸を落ち着かせる必要がある。
配管工として、家族を養い、二人の子どもを育ててきた。
仕事をして、後ろ指を刺されるようなことはしてこなかったとの自負がある。
汗水たらして仕事をした職人に罪はなく、国やアスベスト企業が、その危険性を知りながら放置したことが問題。
これ以上の被害者を増やさないために、アスベスト裁判に立ち上がった。
すでに、原告の内70人を超える方が亡くなり、40人がたたかっている。原告が存命の内に解決されることを望む。


住友造船  遺族 Yさん
 住友造船の下請け労働者として、溶接の仕事をしていた。溶接の際、火花が飛ぶため、火傷防止のため、腕に巻いたりしていた。
家族を守るため、住友の発展のために頑張ってきたという自負がある中、H13年。咳が止まらず、緊急入院。肺に水がたまり、手術となった。
55歳という人生に、無念を感じていた。病室から飛び降りたら・・・と口にしていた。
アスベストが原因と告げられ、マスクをしていたのにこういったことになり、住友がきちんと対応していればという思い。
初めての労災申請で、困難もあったが、労災職業病センターの援助もあり、労災認定を勝ち取った。
H20年。下請け労働者5人で裁判を起こす。住友は雇用形態が違うため、救済の必要なしとの態度だった。
正社員と同じ現場で同じ格好をし、仕事をしていた。
多くの方の支援で、3年たたかい、和解となった。
現在も住友では、正社員よりも下請け労働者が多い状況が続いている。

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